「繊細さん」もteamでlifeスタイルを確立できるmediaにしつこいほどイイネ!したい。っていうありがた迷惑な話
2020年も残すところあとわずか。
最近気になる書籍を見つけました!
その名も、「繊細さん」の本
私、繊細さんなのでもうね、共感の嵐!!!!
めっちゃ気楽になりました。笑
繊細さんでも会社や友人とかのteam内で繊細さんなりのlife styleで良いんだよと肯定できます。
もうこの書籍mediaにはしつこいぐらいイイネ!したい。
「なんか生きにくい。」、「なんか居心地悪い。」、「なんか人の目が気になって取り繕っちゃう。」
そんな人には是非オススメです!以上、ありがた迷惑なお話でした。
team内でも個人のlifeステージでも広告mediaのしつこい情報に惑わせるな
team内でも個人のlifeステージでも、だ。
広告mediaやネット上のしつこい情報、同調圧力、その場の空気に惑わせるな。
本当に大切なものは、自分自身の手と足と目で確かめろ。
迷ったときは本屋に行け。
失敗や苦労を損だと思うな。
人は、本気で迷った分だけ、新しい発見ができる。
中途半端に生きようとするな。
teamのなかで自分のlifeスタイルをmediaの干渉を受けずに貫くのは迷惑?
会社でも学校でもSNSのコミュニティでも、ほとんどの環境で私たちは組織に属します。
組織とteamってちょっと違うと思っていて、teamは組織の中でも「同じ目標を共有できる」人々の集まりだと思うんです。そのなかで自分のlifeスタイルや個性をmediaや集団心理のバイアスに干渉されずに貫くって結構難しいと思っていました。だってチームの目標最優先で集まってるんですもの。でも案外チームの中での自分の個性や独自のスタンスって大事で、たとえマイノリティだったとしても、その少数派の意見が反映されるteamって多様性に富んでるというか、汎用型の組織より特殊部隊化できる強みも持ってたりするんですよね。まあそれを束ねるリーダーの器にもよるんだとは思いますが。妊娠したことが迷惑と捉えらえる非人道的な職場だったり、コミュ障ってことが原因でいじめられるような会社ならすぐに辞めた方がいいと思います。
最高のteamを築きクオリティオブlifeを高めたい人にとってmediaは迷惑なのか
最高のteamを築きクオリティオブlifeを高めたい人にとってmediaは迷惑なのか?
答えは「YES」
ただ、使い方を心得ていればそうとも限らないはずだと思っている。
芸能人の自殺報道が逆説的に希死念慮を煽っているというのは、愚の骨頂で
無駄なスキャンダルやどうでもいい情報番組に右往左往するのではなく、
例えば報道されない福島原発の現状のヤバさや、高齢者の介護問題、保育士の薄給問題など、マイノリティだとされる人々の心に寄り添うきっかけに社会全体がなっていくよう制作されたmediaオウンドメントであれば、この同調圧力で押しつぶされそうな社会の閉塞感を打破できるかもしれない。
「やられたらやり返す。倍返しだ!」が視聴者の心を鷲掴みにするのは、立場の弱い自分自身の理不尽さを声を大にして代弁してくれたからだと思う。
そもそもteamプレイが得意な人は個のlifeハックも上手いしmediaの扱い方も慣れている、という幻想が迷惑
そもそもteamプレイが得意な人は個のlifeハックも上手いしmediaの扱い方も慣れている、というイメージや幻想が大変迷惑です。
とある食品会社の営業マンから聞いた話。
※以下文章は彼のセリフ
営業先という狭い観測範囲になってしまうけれども、新型コロナ(COVID‐19)の感染拡大の影響で、つぶれてしまう個人経営飲食店とそうでない店の違いが見えてきた。従来、個人経営の飲食店にアプローチするときは、営業マンというよりは飲食店のコンサル的な立場を取ってきた。店舗経営にアドバイスをして、経営を安定させたうえで商品を買ってもらうという流れをつくるためだ。なぜならおっちゃんおばちゃんがやっている家族経営の《ちゃんちゃん食堂》は良い意味でも悪い意味でもアバウトに経営しておられていて、取引するにはリスクは高いからだ。ビジネス面だけではない。個人的に僕はそういうお店が大好きで、なくなってしまうと寂しいので助言している。歯がゆいのだ。せっかく美味しいものを出しているのに不安定な経営が原因で商売をやめてしまうのは。
※画像はイメージです。
「美味しい料理を出しているのだから、利益出しましょうよ」「食中毒を出さないように安全衛生だけはしっかりやりましょう」「休みはちゃんと取らなきゃ。パートスタッフを雇いましょう。紹介しますよ」といって経営、安全衛生、労務管理について、いくつかの店に助言した。驚いたのは、個人経営の飲食店の、比較的高齢のご夫婦がやられているようなお店の多くは、朝から晩までの長時間労働もさることながら、店の運転資金と自分たちの生活費を確保するだけで、自分たちのまともな給料や利益を確保していなかった。意識すらないのだ。僕が指摘すると彼らの答えは決まってこうだった。「お客が離れるから値段はあげられない」「生活ができればそれでいい」。
僕は、時間をかけて 説得と、会社としてのサポートを約束して、そういった個人経営の飲食店を「まともな経営」に近づけるお手伝いをしてきた。健康と、老後の蓄えを残しつつ出来るだけ商売をやってもらいたいという個人的な願望と、経営を安定させる飲食店に商品を継続して買ってもらうというビジネス面を両立していたと自負している。もちろん、僕のやり方が個人経営店の問題のすべてを解決できるとは思っていない。特に、多くの店が抱える後継者問題はプライベートに係る要素が大きいこともあって解決策が見いだせていない(人は紹介できるけれども)。実際、「ウチはウチのやり方がある」といって頑なに前時代的なやり方を続けるお店もあった。
店舗のリニューアル、厨房機器の刷新、新店舗オープンといった投資と労務管理や安全衛生といった問題を解決して、利益の出るようなメニュー構成や価格設定。そういった小さな改革でまともな経営に近づけていくことが出来ていた。順調だった。ところが。新型コロナ(COVID-19)の感染拡大で彼ら個人経営の飲食店の業績(売上)は急降下してしまった。テイクアウト導入の手伝いをしたけれども、業績を改善させる決め手にはならなかった。残念ながら、僕が手掛けた個人経営店のいくつかは商売をやめてしまった。主原因は売上の激減だけれども、投資と家族以外の人材を抱えて労務費が増えてしまったことが足かせになってしまった。コンサル的な立場で助言してすすめてきたことが仇になってしまった。
一方で、僕の観測範囲内の個人経営の飲食店でつぶれていない店もあった。それは頑なにやり方を変えなかった店だ。つまりオッチャンオバちゃん二人でやっているような《ちゃんちゃん食堂》だ。僕の知るかぎりではこの感染拡大で商売をやめた《ちゃんちゃん食堂》はいまのところない。自転車操業、自宅を兼ねた店(家賃がかからない)、朝から晩まで立ちっぱなしの長時間労働、2人分の最低限の生活費を稼ぐだけ、投資も備えもなし。経営とはいえないような経営だ。だが、最低限度の売上さえ確保すれば、いや売上がなくても貯金を崩せば店は開けられる。「お金にはならないがなんとかなる」「借金しても死んでしまえば帳消し」というオヤジさんたちの無駄に強い言葉を前にすると、「ちゃんとした経営をしましょう」「強い体質を作りましょう」と言いながら、商売をやめてしまう店主たちの助けになれなかったのが情けなくなるばかりだった。
ビジネスとしてやっていこうとマトモにやりはじめた店がそれゆえに「これ以上はビジネスとしてやっていけないよ」という判断をして商売をやめてしまい、その一方で、ビジネスとしては成り立っていない店が成り立っていないがゆえに厳しい局面を乗り切ってしまう。感染症による売上減というどうしようもない要因はあるけれども、会社的な経営が足を引っ張ってしまったのは受け入れなければならない。僕がやってきたことはなんだったのだろう、きっつー、と僕が途方に暮れている今も、《ちゃんちゃん食堂》は今日もバカパワーで暖簾をあげている。強い。